青森の写真コンテストの受賞内定が取り消されたり、再受賞になった話。
被写体は、いじめ被害者で、自殺していた。
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今回、黒石市(または実行委員会?)は、かなりの悪手をうってしまった訳だが、
マスコミの取り上げ方も、どこかおかしい。
「この写真によって、いじめ撲滅を訴える」
「受賞で無念が晴れる」
「受賞で遺族が救われる」
みたいな言い方をしている。
それは違うだろう。
「黒石よされ写真コンテスト」は「いじめ被害者写真コンテスト」では無い訳で、
「2016年のよされ祭の風景」というテーマのモノ。
被写体が悪人だろうが死人だろうが、”祭の良い写真”であれば受賞資格がある。
いじめに何の関係も無いイベントだ。
何の関係もないイベントを、別の何かに結びつけるのは、歪曲・ねつ造・扇動だ。
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コスモスが咲いたので、いじめを無くしましょう。
下痢になったので、いじめを無くしましょう。
秋になったので、いじめを無くしましょう。
北朝鮮がミサイルを発射したので、いじめを無くしましょう。
お腹がいっぱいになったので、いじめを無くしましょう。
花粉症になったので、いじめを無くしましょう。
シャワーをあびたので、いじめを無くしましょう。
明日は算数の授業があるので、いじめを無くしましょう。
チョキを出したので、いじめを無くしましょう。
靴下に穴が開いたので、いじめを無くしましょう。
くしゃみが出たので...。
「頭おかしい」と思う。
閑話休題。
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黒石市は、”自殺”や”いじめ”という言葉に惑わされず、
ただ”祭の良い写真”を選びさえすれば良かった。
受賞会見でマスコミから「被写体が自殺者だが、良いのか?」と問われれば、
「”祭の良い写真”を選びました。」と答えるだけで良かった。
それだけで良かったのに、いらない事を考えて、今回の悪手をうってしまった。
あえて言う。
今回の事は
「いじめ被害者・自殺者が、偶然に被写体だっただけ」
「受賞が理不尽な理由で取り消され、また理不尽な理由で再受賞になっただけ」
この写真コンテスト自体は、いじめ問題とはまったく関係は無い。
マスコミは、この『内定→取り消し→再受賞』という理不尽な流れの中に、
”いじめや自殺の隠蔽”が見えてくるのならば、それを取り上げるべきであって、
受賞といじめ撲滅を直接にからめてはいけないと思う。